ISBN:978-4140911204 アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険
自由のために計画経済的な要素を取り入れるか排除するか
70年代以降現代リベラリズムの論点
自由主義の逆説
全体主義<->自由主義という対立から社会主義<->自由主義という対立へ
自由主義的に本人の自由に基づく選択である限り社会主義もOKということになる
自由の敵は外部からではなく内部から出現する
前者は計画経済を肯定し後者は否定
ハイエクにとって市場は自由の精神が鍛えられる場
自由に生きようとする各人の意思を育成することの重要性を説いてるのは一緒だが戦略が異なる
もう一つの全体主義体制としてのソ連
自由=複数性->自由主義=多元主義
解放という自由との対立
冷静体制下
解放=自由化
解放 liberation
自由 liberty
アメリカの自由への疑問
リバティーとフリーダム
アーレントの革命について
アーレントの解釈ではリバティーには拘束からの解放というネガティブな意味合いしかない
フリーダムは市民が物質的な利害関係から離れて討論し共通の理想を追求する状態
政治的自由こそが自由の本質的な部分
フリーダムを成し遂げた革命としてアメリカ革命
失敗した革命はフランス革命など
解放政治の暴走
個人の幸福追求より公的自由を重視する議論を個人主義的な自由主義と区別して共和主義
アメリカの共和主義的伝統
ハイエクも二つの自由を主張
フランス系の合理主義的な自由
設計主義的傾向
全体主義につながっていく
イギリス系の反合理主義的な自由
経験主義
伝統や習慣は無知なる人間の経験値の社会的ストック
富裕層が自らの富を経験値を高めるために活用することを肯定
人為的な格差是正より市場のメカニズム
社会保障は最低限にすべきで格差是正であってはならない
アメリカの進歩が世界を豊かにする
50-60年代公民権運動とフェミニズムの運動
アメリカ的なリベラル
西ヨーロッパ諸国と違って復古主義者やファシストや社会主義者や共産主義者などとの対比でリベラル(自習主義)とこしょうが使われることはあまりなかった
経済的な弱者への福祉や大規模な財政政策による雇用対策を通しての欠乏からの自由を重視する人たちから新しい自由観を主張するという意味でリベラルを名乗るようになった
社会主義を目指すわけではないが社会主義的計画経済的な考えからに一定の理解を示す
ルーズベルトの系譜
ケインズ経済学と相性が良い
古典的自由主義と弱者に優しいリベラル
冷静構造の緊張が解け経済的に安定すると二つの違いが次第に鮮明になった
後者のリベラルは異なった文化にも寛容
これに反対するのが保守派になった
小さな政府派が文化的に保守派であるとは限らないが弱者に優しいリベラルの対比で保守派と呼ばれる
急速な黒人解放運動やラディカルフェミニズムとはリベラルの関係は微妙
自由な憲法を徹底すれば自然と平等を確保できるので国家の枠組みを否定する主張までは受け入れようとしない
新左翼的な解放の思想
ベトナム戦争と新左翼思想の高まり
マルクーゼ
一次元的人間
労働組合などの既成の左翼やリベラルに頼らない新たな革命の可能性
ベトナム戦争でリベラル派内部矛盾を抱え左右双方から批判
ニクソン大統領
保守が左によってリベラルの思想的アイデンティティが曖昧に
リベラルの大義(弱者に優しく異なる文化に寛容、平和主義)が見えなくなる
ベトナム戦争で統一的な姿勢を見せられなかった
このころのリベラルには明確な政治哲学がない
かつてはハイエクやフリードマンの掲げる古典的自由主義、アーレントが掲げる共和主義的自由主義
ケインズ主義は政治哲学は提供しない
リベラルの場合どういう風に生きるのが自由な人間らしいあり方なのか?がはっきりしない
-> ロールズの正義論の登場
アメリカを構成する市民としての政治的アイデンティティを再定義することのできるリベラルな政治哲学
メタ倫理学から反発し正義に関する実質的な議論を行う
正義を公正さ(fairness)として捉え直す
ルール功利主義からルールを守るとこと哲学的意味へ
経済的な不平等も正義の原理の射程
通常の法を超えた市民的不服従の正当化
正義の第二原理
古典的自由主義者は経済的社会的不平等さを気にしないので認めない
リベラルにとっては第一原理より正義という色彩が強い
不平等が経済成長や技術革新をもたらし、その社会を構成するあらゆる人に有利になると合理的に期待できる根拠があれば総論としては賛成できるであろう
各論=自分が格差において劣位な側に置かれることは受け入れがたい
が、その劣位になる可能性が誰にでもあればフェアだと呼べる
解釈の違いで4通り
効率性原理と格差原理
才能対して開かれているキャリアとしての平等と公正な機会均等としての平等
ロールズは格差原理公正な機会としての平等が合理的とした
自分の社会的な立場が他人と比較してどうなっているかわからない状態を作り出す装置
無知のヴェールによって自分たちに取って都合の良い原理を選ぶのではなく最も不利な立場にある人の視点に立って原理を選ぶ
その代表的な論客であるトーマス・マッカーシー(一九四〇─ )、セイラ・ベンハビブ(一九五〇─ )、ナンシー・フレイザー(一九四七─ )らは、八〇年代末から九〇年代にかけて、自由な市民たちの理性的コミュニケーションを通して形成されてきた市民的公共圏のさらなる発展に期待を寄せるハーバマスの議論は、市民社会の主流であるブルジョワ階級の(白人)男性たちのコミュニケーションから排除されている人たちの存在を軽視する傾向にあると指摘し、ハーバマス理論から若干距離を取るようになった。
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